No. 34
環世界
同じ森に、別々の世界がある
Episode一本の樫の木
森に、一本の古い樫の木が立っています。そこへ年老いた木こりがやって来て、幹をたたき、どれほどの材木が取れるかを見積もります。木こりにとって、この樫は、斧を入れて切り出すものです。
同じ樫の前を、小さな女の子が通りかかります。ごつごつした樹皮のしわが、こちらをにらむ顔に見えて、女の子はおびえて走りだします。根もとのくぼみには、キツネが巣をつくって住んでいます。キツネにとって樫は、雨と風をしのぐ屋根です。高い枝にはフクロウがとまり、身を隠しています。幹をのぼるアリにとっては、樹皮のみぞが深い谷と尾根になり、樹皮の下にもぐるキクイムシにとっては、樫の全体が食べものです。
生物学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、『生物から見た世界』の終わり近くで、この樫の木を描きました。副題は「見えない世界の絵本」です。同じ一本の木が、出会う生き物ごとに、まるで違うものとして現れる。そのどれもが、その生き物にとっては、ほんとうの樫なのです。
Meaning同じ森に、別々の世界がある
ユクスキュルは、それぞれの生き物が、自分の感じる仕組みと動く仕組みで切りとり、意味を与えている世界を、環世界と呼びました。同じ森の小道でも、キツネと、フクロウと、人とでは、まったく別の世界が開けています。
取り違えやすいのは、どれか一つが本当の樫で、ほかは見まちがいだと思うことです。木こりの見る材木も、女の子の見る顔も、キツネの屋根も、それぞれの暮らしの中では欠けたところのない、ちょうどの世界です。樫そのものを、すべての目から一度に見わたせる者は、どこにもいません。
Meaning見えているのは、自分の輪の中だけ
人も、例外ではありません。同じ店を見ても、売る人には棚と在庫が、数字を見る人には売上が、訪れる人には、その日の気分や、誰かへの贈りものの迷いが見えています。誰もが、ありのままの世界を見ているつもりで、じつは自分の輪の中を見ています。
だとすれば、一人で描いた世界の地図は、どれほど丁寧でも、一人の環世界の地図にしかなりません。誰かの輪の中にしか見えないものがある。それが、違う立場の人と一緒に考えることの、いちばん素朴な理由です。
So what相手の輪を、たずねる
自分には見えないものがある、と知っていることは、思いのほか大切です。見えていないものは、在っても、無いのと同じに扱ってしまうからです。
だから、何かを決める前に、相手の輪をたずねてみる。あなたには、ここから何が見えていますか、と。キツネにはキツネの、フクロウにはフクロウの樫がある。自分の森のほかにも森があることを思い出すだけで、世界は少し広く、少しやさしく見えてくるのだと思います。
Sources
- Jakob von Uexküll & Georg Kriszat, Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen: Ein Bilderbuch unsichtbarer Welten, Springer, 1934。邦訳『生物から見た世界』日高敏隆・羽田節子訳、岩波文庫、2005