No. 107

皿を洗う

何かのためではなく、それ自体のために

There are two ways to wash the dishes. The first is to wash the dishes in order to have clean dishes and the second is to wash the dishes in order to wash the dishes.

皿の洗い方には二つある。きれいな皿を手に入れるために洗うことと、皿を洗うために皿を洗うことだ。

Thich Nhat Hanh, The Miracle of Mindfulness, 1975

Episode皿を洗うために、皿を洗う

夕食のあと、流しに皿が積まれています。早く片づけて、座って休みたい。そう思いながら洗っていると、手は皿を洗っていても、心はもう、そのあとのお茶のほうへ行っています。

ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンは、そういう洗い方をしているとき、私たちは皿を洗っているあいだを生きていない、と言いました。そして、お茶を飲むときもまた、次のことを考えていて、お茶を味わっていないだろう、と。だから、皿を洗うときは、皿を洗うために皿を洗う。湯の温かさ、泡の手ざわり、皿のなめらかな縁。その一つひとつに、心ごと居合わせるのです。

白黒の写真。日傘の下を、茶色の僧衣の年配の僧侶が、弟子たちと並んで、ゆっくりと歩いている。
歩くティク・ナット・ハン。写真: HumfCauseway。画像: Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0、白黒に調整)

Origin歩くために、歩く

ティク・ナット・ハンは、戦争で引き裂かれた祖国を離れ、長く異国で暮らしながら、気づきとともに生きる方法を教えつづけました。彼が人々に勧めたのは、特別な修行ではなく、ふだんの動作でした。呼吸すること、歩くこと、食べること、皿を洗うこと。

歩くときは、どこかへ着くためではなく、歩くために歩く。一歩ごとに、足の裏が地面に触れるのを感じる。そうすると、一歩一歩が、目的地への途中ではなく、それ自体が着いた場所になります。急いでいる人ほど、どこにも着いていないのかもしれません。

Meaning途中を、生きる

私たちの毎日の多くは、何かのための途中として過ぎていきます。仕事を終えるための作業、休むための片づけ、どこかへ行くための移動。途中は早く済ませるべき時間で、本当の時間はその先にある、と思いこんでいます。

けれど、その先に着いたときにも、心はまた次の先へ行ってしまう。だとすれば、本当の時間はいつまでもやって来ません。途中を途中として済ませずに、その瞬間に居合わせる。それは時間を遅くすることではなく、時間をちゃんと生きることです。

So whatいまの一つに、居合わせる

やることが多い日ほど、目の前のことを片づけながら、頭は次の予定を考えています。けれど、そうして急いだ一日の終わりには、何をしていたのかが手のひらに残りません。

だから、一日に一つでいいから、何かのためではなく、それ自体のためにやってみる。皿を洗うために、皿を洗う。お茶を飲むために、お茶を飲む。そのとき、ゆっくりに見えるその一つが、じつはいちばん確かな時間になるのだと思います。

Sources

  1. Thich Nhat Hanh, The Miracle of Mindfulness, 1975。邦訳『〈気づき〉の奇跡』