No. 53

暇と退屈

消費するより、ゆっくり味わう

Episodeウサギ狩りに行く人

一日じゅう野山を駆けまわって、ウサギを追いかける人がいます。その人に、出かける前に「どうぞ」とウサギを一匹手渡したら、喜ぶでしょうか。

喜ばないはずだ、と十七世紀の哲学者パスカルは書きました。その人が欲しいのは、ウサギではない。追いかけているあいだ、部屋でじっとしていられない退屈から目をそらしていられること、つまり気晴らしなのだと。人間の不幸は、部屋の中に静かにとどまっていられないことから生まれる、とも。

Origin暇と退屈は、別のもの

哲学者の國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』で、このパスカルの話から考えはじめます。暇とは、何もしなくてよい時間があるという、外側の状態。退屈とは、何かしたいのに何もすることがないという、内側の感じ。暇があっても退屈しない人もいれば、忙しくても退屈している人もいます。

暇と退屈の四つの組み合わせ 横は暇があるかないか、縦は退屈しているかいないか。四つの区画ができる。暇があり退屈している「持てあます」(休日に画面をめくりつづける)。暇がなく退屈している「満たされない忙しさ」(予定は埋まっているのに空しい)。暇があり退屈していない「暇を楽しむ」(一日かけて庭の移ろいを眺める)。暇がなく退屈していない「打ちこむ」(我を忘れて手を動かしている)。「暇を楽しむ」の区画だけ、青く示されている。 暇がある 暇がない 退屈 している 退屈 して いない 持てあます 休日に、 画面をめくりつづける 満たされない 忙しさ 予定は埋まって いるのに、空しい 暇を楽しむ 一日かけて、 庭の移ろいを眺める 打ちこむ 我を忘れて、 手を動かしている
暇は外側の状態、退屈は内側の感じ。二つは別々に起こる。國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の考えをもとに描いたもの

そして國分は、二つのふるまいを分けました。浪費と、消費です。浪費は、ものを受けとり、味わい、満ち足りて、いつか止まる。おいしい食事は、おなかがいっぱいになれば終わります。消費は、ものではなく、ものにまとわりついた意味や記号を受けとる。だから満ち足りることがなく、いつまでも終わらない。

浪費と消費の違い 左の列は浪費、右の列は消費。上の小さな線の図では、浪費は満たされる線がゆるやかに上がって平らになり、そこで止まる。消費は線が上がっては落ち、上がっては落ちをくり返し、終わらない。下の表では、受けとるものは浪費が「もの」、消費が「意味や記号」。たとえば、浪費は「一皿を味わう」、消費は「話題の店を巡る」。行きつく先は、浪費が「満ちて、止まる」、消費が「満ちず、終わらない」。残るものは、浪費が「満足」、消費が「退屈」。 浪費 消費 満ちる 次へ、次へ 受けとるもの もの 意味や記号 たとえば 一皿を味わう 話題の店を巡る 行きつく先 満ちて、止まる 満ちず、終わらない 残るもの 満足 退屈
浪費は満ちて止まり、消費は満ちずに終わらない。國分功一郎がボードリヤールを手がかりに分けた二つのふるまいをもとに描いたもの

Meaning消費するより、浪費する

次々に新しいものを手に入れても、どこか退屈が消えない。それは、ものそのものを味わう前に、次の記号へ目が移ってしまうからかもしれません。新しい店、話題の本、流行りの場所。行ったことや読んだことは増えても、味わったことは増えていかない。

國分は、退屈から抜け出す道の一つとして、贅沢を取り戻すことを挙げます。贅沢とは、必要の限界を超えて、ものを受けとり、楽しむこと。そして、楽しむことには訓練がいる。食べものの味も、音楽の深さも、知るほどに、受けとれるものが増えていきます。

So whatゆっくり、味わう

暇ができると、何かで埋めたくなります。予定を入れ、画面をめくり、次の何かを探す。そうして埋めるほど、退屈はかえって深くなっていきます。

ウサギを追いかける前に、一皿の料理を、一冊の本を、一つの景色を、ゆっくり味わってみる。満ち足りるまで受けとってみる。退屈に効くのは、新しい気晴らしではなく、目の前のものを楽しむ力なのだと思います。

Sources

  1. 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』朝日出版社、2011(のち新潮文庫)
  2. Blaise Pascal, Pensées, 1670。邦訳『パンセ』