No. 71
体で分かること
知っていることと、分かっていることのあいだ
知識を理解することは一部に過ぎない。本当の理解は体験から獲得するものである。
シーモア・パパート
Episodeシスティーナ礼拝堂の匂い
映画『グッド・ウィル・ハンティング』の主人公ウィルは、図書館の本を片端から読みつくした青年です。数学の難問をすらすら解き、どんな話題を振られても、本で読んだことを持ち出して相手を言い負かしてしまう。
そのウィルを、心理学者のショーンが池のほとりのベンチに連れ出します。きみは美術のことを聞かれたら、ミケランジェロについて本に書いてあることを何でも話せるだろう。けれど、システィーナ礼拝堂の中がどんな匂いか、あの天井を見上げたときにどんな気持ちになるかは、知らないはずだ。恋も、喪失も、同じだと。ショーンは、愛する人を亡くした自分の体験を、静かに語ります。ウィルは、何も言い返せませんでした。
But I bet you can’t tell me what it smells like in the Sistine Chapel. You’ve never actually stood there and looked up at that beautiful ceiling.
けれど、システィーナ礼拝堂がどんな匂いかは、きみには言えないだろう。あそこに実際に立って、あの美しい天井を見上げたことがないのだから。
『グッド・ウィル・ハンティング』ショーンの台詞
Origin歯車が好きだった子ども
数学者で教育者のシーモア・パパートは、子どものころ、歯車に夢中になったと書いています。おもちゃの車の歯車を回し、かみ合う二つの歯車の回り方の違いを、手で何度も確かめた。のちに学校で掛け算や方程式に出会ったとき、それは歯車の回り方として、すんなり頭に入ってきたといいます。
パパートは、人は知識を流しこまれて学ぶのではなく、自分の手で何かをつくり、動かし、確かめるなかで学ぶと考えました。そのために、子どもがコンピュータに命令を書いて、画面の上の亀を動かしながら図形を描く道具まで生み出しています。知ることと分かることのあいだには、手を動かした時間がある。それがパパートの考えでした。
Meaning知っていることと、分かっていること
本で読んだことは、知識になります。けれど知識は、まだ他人の体験を借りている状態です。ウィルが語れたのは、ミケランジェロについて誰かが書いた言葉でした。ショーンが語ったのは、自分の体を通ってきたことでした。
体験は、知識に重さと温度を与えます。歯車を回した手が、掛け算を分からせたように。礼拝堂の空気を吸った体が、絵の意味を分からせるように。知識は体験によってはじめて、自分のものになるのです。
人を分かろうとするときも、同じです。
Walk a mile in another’s shoes before judging them.
人を判断する前に、その人の靴を履いて一マイル歩いてみなさい。
英語のことわざ
その人の暮らしを本で読み、話を聞いただけでは、まだ知っているにすぎません。同じ道を、同じ靴で歩いてみてはじめて、足のどこが痛むのか、なぜその人がそこで立ち止まったのかが分かる。他人を理解することもまた、体を通してしか届かない理解なのです。
So what知ったら、触れにいく
調べればたいていのことが分かる時代に、私たちは知っていることを、分かっていることと取り違えやすくなっています。読んだだけの場所、聞いただけの仕事、想像しただけの気持ち。
だから、知ったら、触れにいく。行ってみる、つくってみる、手を動かしてみる。本で読んだことが、自分の体を一度通り抜けたとき、知識はようやく、自分の言葉で語れる理解に変わるのだと思います。
Sources
- Seymour Papert, “The Gears of My Childhood,” Mindstorms: Children, Computers, and Powerful Ideas, 1980(序文)
- Gus Van Sant 監督『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(Good Will Hunting)1997