No. 106
一掃除二信心
毎日の小さなくり返しが、未来を整える
Episode箒を渡された弟子
お釈迦さまの弟子に、周利槃特という人がいました。兄に、戒めを守れないなら家に帰って俗人に戻れと責められ、精舎の門で泣いていました。
そこへお釈迦さまが来て、手を引いて静かな部屋へ連れていき、一本の箒を持たせて、二つの言葉を唱えさせます。「掃」と「箒」。ところが周利槃特は、「掃」と唱えると「箒」を忘れ、「箒」と唱えると「掃」を忘れてしまう。それでも、唱えつづけました。
唱えつづけるうちに、幾日かたって、「掃」と「箒」の二語は、「除垢」、垢を除くという名に変わりました。そして考えました。灰や土や瓦や石は、取りのぞけば清らかになる。そして、心を縛るものこそが垢だと思い至ります。
結縛是垢、智慧能除。
心を縛るものこそが垢であり、智慧がそれを除く。
— 『経律異相』巻十七
自分はこれから、智慧の箒で、心を縛るものを掃き除こう。二つの言葉さえ覚えきれなかった弟子が、その二つを唱えつづけた先で、そこに思い至ったのです。
Origin一に掃除、二に信心
禅の寺には、「一掃除二信心」という言葉が伝わっています。信心より先に、まず掃除。禅寺の廊下は、塵一つなく、姿が映るほど磨かれています。それでも修行の僧たちは、来る日も来る日も、その廊下を磨きつづける。汚れているから拭くのではありません。掃除は、心の塵を払うことだからです。
枡野は、寺の廊下がすでに姿が映るほど磨かれていても、くる日もくる日も磨きつづけると書きます。周利槃特が教えられたのも、二つの言葉と、一つの動作だけでした。
Meaningくり返しが、理解の通り道になる
周利槃特が気づいたのは、教えを覚えたからではありませんでした。覚えきれない二語を唱えつづけるうちに、言葉のほうが変わっていったのです。
はじめ「掃」と「箒」は、ただの道具の名でした。唱えつづけるうちに、それは「垢を除く」という働きの名になる。働きの名になると、問いが生まれます。除くべき垢とは何か。灰や土なら、取りのぞけば終わる。では、取りのぞいても終わらないものは。そこで言葉は、自分の心の話になりました。物の名から働きの名へ、働きの名から自分のことへ。
一度聞いただけの言葉は、ラベルのまま通りすぎます。何度も口にして、表面がすり減ったときにはじめて、言葉の奥にある働きが見えてくる。くり返すことは、理解の代わりではありません。言葉が自分のところへ降りてくるまでの、通り道なのです。
So whatまず、目の前を掃く
静かな部屋で、箒を持ち、二つの言葉を唱えつづける弟子。周利槃特が手にしたのは、それだけでした。特別な準備も、強い決意もありません。
朝いちばんに、机の上を拭く。玄関を掃く。ほんの数分の同じことを、毎日くり返す。それは小さすぎて、何の役にも立たないように見えるかもしれません。けれど、同じ手つきを何度もくり返すうちに、外を拭く手は、内にも届きはじめる。心も、暮らしも、そうして少しずつ整っていきます。
Sources
- 宝唱等編『経律異相』巻十七「槃特誦掃忘篲誦篲忘掃」(増一阿含経を出典に挙げる。この章の説話はこの版による)、大正蔵 T53 No.2121、p.90c–91a。「乃經數日掃篲復名除垢」。「教執掃篲令誦。槃特誦掃忘篲、誦篲忘掃」「結縛是垢、智慧能除」。CBETA Online
- 枡野俊明「信心の前にまず掃除。禅修行で掃除が何よりも大切にされる理由」(『禅が教えてくれる 美しい時間をつくる「所作」の智慧』より)。幻冬舎plus
- 「十六羅漢像 第十六尊者(注荼半託迦)」平安時代・11世紀、絹本着色、東京国立博物館蔵