No. 98
北極のシロクマ
居場所を選ぶことは、逃げではない
Episode西の魔女の家で
中学に上がってまもなく、少女まいは、どうしても学校へ足が向かなくなりました。季節が初夏へ移っていくひと月あまりを、田舎に住む祖母の家で過ごすことになります。イギリスから来たその祖母を、まいと母は、こっそり「西の魔女」と呼んでいました。
祖母の家へ向かうとき、まいは、使い慣れたマグカップを持っていきます。
使い慣れたこのマグカップがあるとその回りにぼわんとした『自分の場所』のような空間が拡がって、きっと予想されるホームシックが防げる
— 梨木香歩『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』2017、p.14
どこへ行っても、自分の場所を小さく持ち歩こうとする。この物語は、居場所を探す少女の話として始まります。
祖母は、まいに魔女の修行をさせると言います。その肝心かなめは、何でも自分で決めることでした。祖母と野いちごを摘んでジャムを作り、洗ったシーツをラベンダーの茂みの上に広げる。そんな毎日の中で、まいは少しずつ、自分の足で立つことを覚えていきます。
Originシロクマは、北極で
その祖母が、まいに語りかける言葉があります。サボテンは水の中に生えなくていいし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイではなく北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めるでしょう、と。

ただ、祖母は、合わない場所から離れなさい、とだけ言ったのではありません。離れるにしても、とどまるにしても、決めるのはまい自身です。やがてまいは、祖母の家で暮らし続けるか、両親のもとへ移って新しい学校へ通うかを、自分で選びます。魔女の修行は、そのときのための練習でもありました。祖母と離れてからも、まいは、何にしても黙々と最後までやり抜こうと努めて暮らします。
Meaning逃げることと、選ぶことのあいだ
苦しい場所から離れようとするとき、それを逃げだと感じる人は少なくありません。まわりのみんなは耐えているのに、自分だけが弱いのではないか、と。
けれど、シロクマが北極にいるのは、ハワイから逃げてきたからではありません。自分がどんな生きものかを知っているからです。逃げることと選ぶことは、外から見ると同じ動きに見えます。違いは、その足が何に押されているかにあります。
追い立てられて動けば、次の場所でもまた追い立てられるのを待つことになります。自分を知ったうえで、自分で決めて動けば、着いた場所を自分の場所にしていける。自分で決めたことを、自分の手で続けていく。祖母がまいに教えたのは、その違いをつくる力でした。
So what息のしやすい場所へ
合わない場所でがんばりつづけることは、美しく見えます。けれど、どこで生きるかを、自分で選んでいいのです。
ここは、自分が楽に息のできる場所か。そうでないなら、別の場所を探しはじめる。そして、動くと決めたら、それを自分で決めたことにする。マグカップ一つぶんの小さな場所からでも、自分の場所は広げていけます。
Sources
- 梨木香歩『西の魔女が死んだ』楡出版、1994/新潮文庫、2001(ISBN 978-4-10-125332-9)。紹介文(ひと月あまり、魔女修行の肝心かなめは何でも自分で決めること)と、同頁に転載された原幹恵のコラム(『波』2015年8月号より。野いちごのジャム、ラベンダーの茂みに広げるシーツ)shinchosha.co.jp/book/125332/
- マグカップの一節は『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』新潮社、2017、p. 14。劉冠玟「『西の魔女が死んだ』世界の再考 ― 本編と短編作品群を中心に」『白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集』第23号、2020、pp. 39–60 の頁つき引用による。物語の筋(まいと母が祖母をひそかに「西の魔女」と呼ぶこと、暮らす場所をまいが自分で選ぶこと、離れてからも「何にしても黙々と最後までやり抜くべく努めるようにしている」こと、p.155)も同論文による shirayuri-u.repo.nii.ac.jp
- シロクマの台詞(地の文の言い換えの元): 「小説『西の魔女が死んだ』の伝えたいことをネタバレ解説!泣ける名言も紹介」honcierge.jp
- 写真: Andreas Weith, “Polar bear (Ursus maritimus) in the drift ice region north of Svalbard,” 2015, CC BY-SA 4.0 commons.wikimedia.org