No. 25

セレンディピティ

探していないものを、見つける力

Dans les champs de l'observation, le hasard ne favorise que les esprits préparés.

観察の場では、幸運は待ち受ける心にだけ味方する。

ルイ・パスツール、リールでの講演(1854年12月7日)。訳は井上潤吾『守りつつ攻める企業』による

Episode開けたままの培養皿

1928年の夏、ロンドンの細菌学者アレクサンダー・フレミングは、ブドウ球菌を育てていた培養皿を実験台に置いたまま、休暇に出かけました。戻ってきて皿を片づけていると、その一枚に青カビが生えていました。カビのまわりだけ、ブドウ球菌が溶けたように消えています。

カビの混じった皿は、ふつうなら捨てられます。フレミングが目を留めたのには、わけがありました。その数年前、彼は自分の鼻水を落とした培地で菌が消えるのを見て、涙や唾液にも菌を壊すものが含まれていることを確かめていました。菌が消えるという出来事を、すでに一度、見ていたのです。カビが出していたものに、彼はペニシリンと名をつけました。

Originセレンディップの三人の王子

セレンディピティという言葉は、1754年、イギリスの作家ホレス・ウォルポールが友人に宛てた手紙の中でつくりました。もとにしたのは「セレンディップの三人の王子」というおとぎ話です。セレンディップは、いまのスリランカの古い呼び名です。

ウォルポールによれば、王子たちは旅のあいだ、探してもいなかったものを、偶然と賢さによって見つけてばかりいました。偶然だけではなく、賢さ。言葉が生まれたときから、セレンディピティには二つの半分がありました。

Meaning探していなかったものと、探していた道

化学者のロイストン・M・ロバーツは、偶然の発見を二つに分けました。思ってもみなかったものを偶然に見つけるのが、本当のセレンディピティ。追い求めていた目的への道を偶然に見つけるのが、擬セレンディピティです。

擬セレンディピティだからといって、発見の値打ちが下がるわけではありません。長く考えていた問いに、ある日、思わぬところから答えが降りてくる。考えが形になるまでの道のりを、心理学者のグレアム・ワラスは、準備・あたため・ひらめき・確かめの四つに分けました。擬セレンディピティは、その三つ目の、ひらめきの瞬間です。

考えが形になるまでの四つの段 準備、あたため、ひらめき、確かめの四つの段が左から右へ並ぶ。最初の準備の段で待ち受ける心がつくられ、三つ目のひらめきの段に擬セレンディピティが起きる。 待ち受ける心 擬セレンディピティ 準備 あたため ひらめき 確かめ 好奇心 知識の引き出し
考えが形になるまでの四つの段。グレアム・ワラスの四段階と、井上潤吾『守りつつ攻める企業』のコラムをもとに描き直したもの

Meaning待ち受ける心は、育てられる

パスツールのいう待ち受ける心は、二つのものでできています。一つは好奇心。身のまわりの何にでも目を向け、なぜそうなるのだろうと考える姿勢です。もう一つは日頃の鍛錬。何か変わったことが起きたとき、その意味を考えられるだけの基礎の知識と、いろいろな例を、引き出しとして持っておくことです。

どちらも、ワラスの四つの段でいえば、最初の準備にあたります。そして、どちらも生まれつきのものではありません。その気になれば、誰でも育てられます。

So what引き出しを、増やしておく

幸運が来る日は選べません。けれど、来たときに気づける側にいることはできます。カビの生えた皿を見た人は、フレミングのほかにもいたはずです。捨てずに覗きこめたのは、菌が消える場面を一度見ていた人でした。

役に立つかどうか分からないことを、面白がって読み、見て、たずねておく。そうして増えた引き出しが、ある日、思いがけない皿の上で開きます。

Sources

  1. 井上潤吾『守りつつ攻める企業 ― BCG流「攻守のサイクル」マネジメント』東洋経済新報社、2011年、pp.169–170 コラム「セレンディピティ」。ISBN 9784492521939。ndlsearch.ndl.go.jp
  2. L. Pasteur, 講演(リール、1854年12月7日)。原文 “Dans les champs de l'observation, le hasard ne favorise que les esprits préparés.”
  3. H. Walpole, ホレス・マン宛ての手紙(1754年1月28日)。“by accidents and sagacity, of things which they were not in quest of”。daily.jstor.org
  4. R. M. ロバーツ『セレンディピティー ― 思いがけない発見・発明のドラマ』安藤喬志訳、化学同人、1994年(原著 1989)。ndlsearch.ndl.go.jp
  5. A. Fleming, “On the antibacterial action of cultures of a Penicillium…,” British Journal of Experimental Pathology 10, 1929。リゾチームは Proceedings of the Royal Society B 93, 1922。休暇と皿の日付には諸説がある(en.wikipedia.org)
  6. G. Wallas, The Art of Thought, 1926(準備 preparation・あたため incubation・ひらめき illumination・確かめ verification)