No. 11

芸術は長く、人生は短し

人生は短く、つくったものは長い

Ars longa, vita brevis.

芸術は長く、人生は短し。

ヒポクラテスの言葉のラテン語訳。坂本龍一が好んだ一句

Episode自然が調律したピアノ

大きな津波が去ったあと、海辺の町で、水をかぶった一台のピアノが見つかりました。木は膨らみ、弦は狂い、鍵盤を押しても、思った音は返ってきません。

坂本龍一は、そのピアノを弾いて、こう感じたと語っています。ピアノは、山から切り出した木を、工業の力で無理やり型にはめ、張りつめた弦で音を揃えた道具だ。津波は、それをもとの自然の姿に戻そうとしたのではないか。狂ったのではなく、自然が調律し直したのだ、と。彼はその音を、のちの作品の中にそっと置きました。

白黒の写真。暗い舞台で、ひと筋の光を受けた白髪の男性が、グランドピアノに向かって弾いている。
ピアノを弾く坂本龍一(2011)。写真: clemisan。画像: Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)

Origin芸術は長く、人生は短し

坂本龍一が好んで口にした言葉に、「アルス・ロンガ、ヴィタ・ブレヴィス」があります。もとは古代ギリシャの医者ヒポクラテスの言葉で、医の術を身につけるには長い時間がかかるのに、人生は短い、という嘆きでした。

坂本はそれを、少し違う向きで受けとっていたように見えます。人の一生は短い。けれど、つくったものは、つくった人より長く生きることがある。だから、限られた時間の中で、長く残るものに手を伸ばす。

Meaningあと何回、満月を見るだろう

坂本が音楽を手がけた映画『シェルタリング・スカイ』の終わりに、原作者のポール・ボウルズが現れて語る場面があります。人は、自分があと何回満月を見るのかを知らない。せいぜい二十回くらいのものかもしれない。それなのに、まるで限りがないかのように過ごしてしまう、と。

晩年の坂本は、この言葉を自分の本の題にしました。残された時間を数えることは、寂しいことではありません。数えてみてはじめて、今夜の月が、何度でもあるものの一つではなく、限られたうちの一回だと分かります。

So what限りを知って、長いものに手を伸ばす

時間はいくらでもあると思っていると、今日を後回しにしてしまいます。けれど満月の数を数えてみると、残りは思うより少ない。

だからこそ、急がずに、長く残るものに手を伸ばす。狂ったピアノの音にも耳を澄ませ、思いどおりにならないものの中に、自然が施した調律を聴く。人生は短く、つくったものは長い。その長さを信じて、今夜の一回を丁寧に過ごすのだと思います。

Sources

  1. 坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、2023
  2. 坂本龍一『async』2017(津波をかぶったピアノの音を収める)
  3. Bernardo Bertolucci 監督『シェルタリング・スカイ』1990。原作 Paul Bowles, The Sheltering Sky, 1949