No. 11
芸術は長く、人生は短し
人生は短く、つくったものは長い
Ars longa, vita brevis.
芸術は長く、人生は短し。
ヒポクラテスの言葉のラテン語訳。坂本龍一が好んだ一句
Episode自然が調律したピアノ
大きな津波が去ったあと、海辺の町で、水をかぶった一台のピアノが見つかりました。木は膨らみ、弦は狂い、鍵盤を押しても、思った音は返ってきません。
坂本龍一は、そのピアノを弾いて、こう感じたと語っています。ピアノは、山から切り出した木を、工業の力で無理やり型にはめ、張りつめた弦で音を揃えた道具だ。津波は、それをもとの自然の姿に戻そうとしたのではないか。狂ったのではなく、自然が調律し直したのだ、と。彼はその音を、のちの作品の中にそっと置きました。
Origin芸術は長く、人生は短し
坂本龍一が好んで口にした言葉に、「アルス・ロンガ、ヴィタ・ブレヴィス」があります。もとは古代ギリシャの医者ヒポクラテスの言葉で、医の術を身につけるには長い時間がかかるのに、人生は短い、という嘆きでした。
坂本はそれを、少し違う向きで受けとっていたように見えます。人の一生は短い。けれど、つくったものは、つくった人より長く生きることがある。だから、限られた時間の中で、長く残るものに手を伸ばす。
Meaningあと何回、満月を見るだろう
坂本が音楽を手がけた映画『シェルタリング・スカイ』の終わりに、原作者のポール・ボウルズが現れて語る場面があります。人は、自分があと何回満月を見るのかを知らない。せいぜい二十回くらいのものかもしれない。それなのに、まるで限りがないかのように過ごしてしまう、と。
晩年の坂本は、この言葉を自分の本の題にしました。残された時間を数えることは、寂しいことではありません。数えてみてはじめて、今夜の月が、何度でもあるものの一つではなく、限られたうちの一回だと分かります。
So what限りを知って、長いものに手を伸ばす
時間はいくらでもあると思っていると、今日を後回しにしてしまいます。けれど満月の数を数えてみると、残りは思うより少ない。
だからこそ、急がずに、長く残るものに手を伸ばす。狂ったピアノの音にも耳を澄ませ、思いどおりにならないものの中に、自然が施した調律を聴く。人生は短く、つくったものは長い。その長さを信じて、今夜の一回を丁寧に過ごすのだと思います。
Sources
- 坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、2023
- 坂本龍一『async』2017(津波をかぶったピアノの音を収める)
- Bernardo Bertolucci 監督『シェルタリング・スカイ』1990。原作 Paul Bowles, The Sheltering Sky, 1949