No. 77

リゾーム

始まりも終わりもない、真ん中から

A rhizome has no beginning or end; it is always in the middle, between things, interbeing, intermezzo.

リゾームには、始まりも終わりもない。いつも真ん中にあり、ものとものとのあいだにある。

ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(1980)

Origin地下を這う茎

竹林の竹は、一本ずつ別々に立っているように見えます。けれど土を掘ってみると、地面の下を横へ横へと這う茎が、何本もの竹をひとつながりにしています。どこかを切っても、残ったところから、また新しい芽が出てくる。こうした地下茎を、植物学ではリゾームと呼びます。

哲学者のジル・ドゥルーズと、精神分析家のフェリックス・ガタリは、この言葉を、ものの考え方の名前として借りてきました。二人が対比させたのは、樹木です。一本の幹から枝が分かれ、枝からさらに小枝が分かれる。家系図も、生きものの分類も、本の目次も、私たちは長いあいだ、知識をこの樹木の形で整理してきました。

樹木とリゾーム 左は樹木。上の一つの点から二つに、そこから四つに枝分かれし、つながりは上下にしかない。右はリゾーム。十ほどの点が、上下の区別なく、互いに網の目のようにつながっている。 樹木 一つの根から、枝分かれ リゾーム どこからでも、どこへでも
樹木では、つながりは上と下にしかない。リゾームでは、どの点も、ほかのどの点ともつながりうる。ドゥルーズ、ガタリ『千のプラトー』をもとに描いたもの

Meaningどこからでも、どこへでも

樹木の考え方には、必ず中心と順番があります。根があり、幹があり、上から下へと分かれていく。ある枝から隣の枝へ行くには、いったん幹まで戻らなければなりません。

リゾームには、中心も、始まりも、終わりもありません。どの点も、ほかのどの点とでもつながることができる。違う種類のものどうしが、思いがけないところで結びつく。どこかが切れても、別のところから伸びなおす。そしてリゾームは、決まった形を写しとるのではなく、歩きながら描いていく地図のようなものだ、と二人は書きました。

だから、リゾームのように考えるとは、正しい入口から順に進むことではなく、いま立っている真ん中から、つながりをたどっていくことです。

So what真ん中から読む

何かを学ぼうとするとき、私たちはつい、基礎から順に、体系の幹から登ろうとします。けれど、本当に考えが広がるのは、たいてい、思いがけない枝と枝が横でつながったときです。デザインの話が禅の言葉につながり、工場の話が畑の話につながる。

知識を、一本の木としてではなく、地下でつながる茎として持っておく。どこから読みはじめてもいいし、どこで寄り道してもいい。始まりも終わりもない網の目の、いま立っている真ん中から、次のつながりへ手を伸ばしていく。考えることは、本来そういう歩き方なのだと思います。

Sources

  1. Gilles Deleuze, Félix Guattari, Mille plateaux, Minuit, 1980(序「リゾーム」)。英訳 A Thousand Plateaus, trans. Brian Massumi, 1987。邦訳 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー』宇野邦一ほか訳、河出文庫