No. 35

オントロジー

何が在るのかを、問いなおす

A curious thing about the ontological problem is its simplicity. It can be put in three Anglo-Saxon monosyllables: ‘What is there?’ It can be answered, moreover, in a word—‘Everything’—and everyone will accept this answer as true.

存在論の問題の奇妙なところは、その単純さにある。三つの短い語で言える。「何が在るのか」。しかも一語で答えられる。「すべて」。そして誰もが、この答えを正しいと認めるだろう。

W. V. O. Quine, “On What There Is,” 1948

Origin在ることそのものを問う学

紀元前四世紀、アリストテレスは『形而上学』の第四巻を、こう書きはじめました。在るものを、在るものとして研究する一つの学がある。馬を研究する学も、数を研究する学もあります。けれども、馬であれ数であれ、とにかく「在る」ということそのものを問う学も、あるはずだというのです。彼はそれを第一哲学と呼びました。

髭をたくわえた初老の男性の大理石の胸像。正面をやや伏し目がちに見ている。
アリストテレスの胸像。リュシッポス作のブロンズ像をローマ時代に写したもの。ローマ国立博物館アルテンプス宮。撮影: Jastrow(2006)。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ところが、アリストテレス自身は「オントロジー」という語を一度も使っていません。この語は、ずっと後のヨーロッパで、ギリシア語の on(在るもの)と logos(ことば、学)を組み合わせて作られました。古い問いに、あとから名前がついたのです。

Meaning在るものは、いくつの箱に入るか

何が在るのかを問えば、次に、在るものは何種類に分かれるのか、という問いが来ます。アリストテレスは、あるものについて言えることの種類を数えました。実体、量、質、関係、場所、時、姿勢、所持、能動、受動。全部で十です。これがカテゴリーのはじまりでした。

のちの人々は、その考えを一本の木に描きました。いちばん上に「実体」があり、「物体か、そうでないか」「生きているか、いないか」と二つずつ枝分かれしながら降りて、いちばん下に「人間」が来ます。その下には、ソクラテスやプラトンという一人ひとりがぶら下がっています。

ラテン語の語が縦一列に並び、左右に枝分かれの語が添えられた木の版画。最上段に Substantia、最下段に Homo とその下の個体の名がある。
「ポルピュリオスの樹」。プルショ『哲学教程』第 1 巻(1730)の版画。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

二千年あまり後、カントはこの十の一覧を、こう批判しました。

これらの根本概念を探し求めたのは、鋭敏な人物アリストテレスにふさわしい企てであった。しかし彼は原理を持たなかったので、出会うままにそれらを拾い集めた。

カント『純粋理性批判』第二版、1787

カントが咎めたのは、箱の数が多いか少ないかではありません。その箱を生む原理がないことでした。出会うままに集めた一覧は、使えても、説明ができません。そして説明のできない一覧は、新しいものがやって来たとき、どの箱に入れればよいかを決められないのです。

Meaning何を在ると、言ってしまっているか

冒頭の「すべて」という答えは正しいけれども、何も言っていません。そこでクワインは、問いの向きを変えました。世界に何が在るのかを問うのではなく、ある人の話が、何が在ることを前提にしてしまっているのかを調べよう、というのです。

この向きで見ると、オントロジーは哲学者の書斎の中だけにあるものではなくなります。表に並んだ項目、帳簿の欄、毎朝見る数字の一覧。そのどれもが、「これは在る」と黙って言っています。そして一覧にないものは、その一覧の世界には在りません。在ると見なされないものは、気にかけられることも、よくしようとされることもないのです。

So what数えていないものを、数える

「何が在るのか」と問われると、私たちは世界のほうを見ようとします。けれど、先に見るとよいのは、自分たちの手もとの一覧のほうかもしれません。

この一覧は、何を在るものとして数えているか。そして、確かにそこに在るのに、一覧の中には無いものは何か。測りやすいものだけを並べた一覧の外側に、いちばん大事なものが置き去りになっていることがあります。何が在るのかを問いなおすことは、見えなくなっていたものを、もう一度、在るものとして迎えなおすことなのだと思います。

Sources

  1. W. V. O. Quine, “On What There Is,” Review of Metaphysics 2(5), 1948。邦訳「なにがあるのかについて」飯田隆訳『論理的観点から』勁草書房、1992
  2. アリストテレス『形而上学』第 4 巻 第 1 章、『カテゴリー論』第 4 章
  3. ポルピュリオス『エイサゴーゲー』(3 世紀)
  4. Immanuel Kant, Kritik der reinen Vernunft, 2. Aufl., 1787, B107。邦訳『純粋理性批判』