No. 97

冷たい社会

変わらないことを選ぶ、という知恵

Le monde a commencé sans l’homme et il s’achèvera sans lui.

世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。

Claude Lévi-Strauss, Tristes Tropiques, 1955

Episode熱帯の森へ

一九三〇年代、若い哲学教師だったクロード・レヴィ=ストロースは、教えに行った遠い国の奥地へ分け入り、森や乾いた高原に暮らす人々のもとを訪ねました。文字をもたず、わずかな持ちもので移り住みながら暮らす人々。彼はそこで、自分たちの社会とはまるで違う、けれど細やかに組み立てられた世界に出会います。

何十年もたって、彼はその旅を一冊の本に書きました。旅も探検家も嫌いだ、という一文で始まる、不思議な旅の記録です。そしてその本を、人間のいない世界の始まりと終わりを見つめる一文で閉じました。自分たちの文明を、宇宙の長い時間の中の、ほんの一瞬として眺める目。それは、遠い森で暮らす人々から教わった目でもあったのでしょう。

Origin熱い社会と、冷たい社会

レヴィ=ストロースは、社会を二つに分けて考えることがありました。一つは、変化を原動力にして、つねに前へ進もうとする社会。歴史を燃料のように燃やしながら走りつづける、熱い社会です。私たちの暮らす社会は、こちらにあたります。

もう一つは、変化を内側で受けとめ、もとの釣りあいへ戻そうとする社会。外から何かが入ってきても、それを神話や儀礼の中に組みこんで、全体の形を保ちつづける、冷たい社会です。冷たい社会は、遅れているのではありません。変わらないことを、自分たちで選び、そのための精妙な仕組みを編みあげてきた社会なのです。

Meaning進むことだけが、知恵ではない

私たちはつい、前へ進む社会を進んだ社会、変わらない社会を遅れた社会と見てしまいます。けれどレヴィ=ストロースは、どちらが上というものさしを持ちこみませんでした。森の人々の分類や神話は、私たちの科学と同じくらい緻密で、ただ、ものの見方の向きが違うだけだと考えたのです。

『野生の思考』には、フィリピンの島に暮らすハヌノオの人々が、千六百を超える種類の植物を見分け、それぞれに名をつけていることが紹介されています。役に立つものだけを分けていたのではありません。レヴィ=ストロースはそこに、役に立つから知るのではなく、まず知ろうとする思考を読みとりました。同じ年の『今日のトーテミスム』で、彼は、動物や植物がトーテムに選ばれるのは、それが食べるのに適しているからではなく、考えるのに適しているからだ、と書いています。

熱い社会は、多くのものを生みだすかわりに、多くのものを燃やしつくしていきます。冷たい社会は、目立った前進はしないかわりに、長い時間、同じ森と、同じ川と、釣りあいを保って生きてきました。変わりつづけることと、変わらずにいること。そのどちらにも、それぞれの知恵があります。

So whatときどき、冷たい社会の目で

速く、もっと速く、と前へ進むことに慣れた私たちは、立ち止まることを、遅れることだと感じてしまいます。

けれど、ときどき冷たい社会の目で、自分の暮らしを眺めてみる。この変化は、本当に必要なものだろうか。変えずに守るべき釣りあいは、どこにあるだろうか。人間のいない宇宙の長い時間を思い浮かべたとき、急ぐことの意味も、少しちがって見えてくるのだと思います。

Sources

  1. Claude Lévi-Strauss, Tristes Tropiques, 1955。邦訳『悲しき熱帯』
  2. Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage, 1962。邦訳『野生の思考』
  3. Claude Lévi-Strauss, Le Totémisme aujourd’hui, 1962。邦訳『今日のトーテミスム』仲澤紀雄訳、みすず書房