No. 42
分ける、まとめる
ばらばらを、見える形に組み直す
Episodeヒマラヤの紙きれ
文化人類学者の川喜田二郎は、ヒマラヤの山あいの村を歩いて、人々の暮らしを調べていました。集めた記録は膨大で、ノートを読み返しても、何が言えるのかがさっぱり見えてこない。
そこで彼は、一つの事実を一枚の紙きれに書き出し、机いっぱいに広げてみました。そして、なんとなく近いと感じるものどうしを、少しずつ寄せていく。寄せた束に、その束を一言で言い表す名前をつける。束どうしをさらに寄せ、関係を線でつないでいく。そうするうちに、ばらばらだった事実の向こうから、村の暮らしの形が、ゆっくり浮かび上がってきたのです。
Origin分けることと、まとめること
この方法は、のちに考案者の頭文字をとって KJ 法と呼ばれ、『発想法』という本で広く知られるようになりました。小さな事実から出発し、似たものを束ね、名前をつけて、上へ上へとまとめていく。下から組み上げる構造化です。
構造化には、もう一つの向きがあります。大きな全体を、漏れなく、重なりなく、いくつかに分けていく。上から切り分ける構造化です。分けることと、まとめること。向きは反対でも、どちらも、ばらばらのものに形を与え、全体を見わたせるようにするための手立てです。日本語の「分かる」が「分ける」と同じ根から来ていると言われるのも、うなずける話です。
Meaningデータをして、語らしめよ
KJ 法には、決まった手順があります。まず、集めた事実を、一枚に一つずつ、短い一文にして書き出す。言葉はなるべく、聞いたまま、見たままに近いかたちで残します。
次に、書き出した紙を広げて、何度も読み返す。そして、言っていることが近いと感じるものどうしを、二枚、三枚と寄せていきます。ここで大事なのは、はじめから用意した箱に振り分けないことです。「お金」「人」「時間」のような既成の分類に入れてしまうと、すでに知っていることしか出てきません。紙のほうが、どれと一緒になりたがっているかに耳を澄ませる。どこにも入らない一枚は、無理に押しこまず、「一匹狼」としてそのまま残しておきます。
束ができたら、その束が言っていることを一つの文に凝縮して、表札をつけます。表札のついた束どうしを、さらに寄せて、大きな束にする。それを数回くり返したら、紙の上に束を並べ、原因と結果、対立、つながりといった関係を線で描いていく。最後に、できあがった図を、文章として語り直してみる。図では見えなかった飛躍や矛盾が、文章にすると、はっきりと姿を現します。
川喜田は、この方法の芯を、データをして語らしめよ、という言葉で表しました。自分の考えを事実に当てはめるのではなく、事実のほうに語らせる。そして、頭の中で考えることと、現場で事実に触れることを、何度も行き来する。思考と経験のあいだを往復しながら問題を解いていく道筋を、彼は W の字の形になぞらえて描きました。
Meaning名前をつけると、見えてくる
人が一度に頭に置いておけるものの数には、限りがあります。十も二十も並んだものは、そのままでは覚えられない。けれど三つか四つの束にまとめ、それぞれに名前をつけると、急に全体が見わたせるようになる。束ねることは、考えるための頭の余白をつくることでもあります。
大事なのは、束に名前をつけるところです。ただ近いものを寄せただけでは、まだ何も言えていない。この束は、つまり何なのか。そう問うて一言で言い表したとき、束は、ただの集まりから、意味をもったまとまりに変わります。分けるときも同じで、どんな切り口で分けるかが、そのまま、ものごとの見え方を決めていきます。
So what机いっぱいに、広げてみる
情報がたくさんあるほど、私たちは頭の中だけで整理しようとして、かえって迷ってしまいます。
だから、一つずつ書き出して、目の前に広げてみる。上から分けてみたり、下から寄せてみたりしながら、束に名前をつけていく。手を動かして並べ替えるうちに、ばらばらだったものの向こうから、ある日ふっと、全体の形が見えてくる。分かるとは、そうして、自分の手で分けて、束ねた先にあるのだと思います。
Sources
- 川喜田二郎『発想法 ― 創造性開発のために』中公新書、1967