No. 79
一度見た景色
壁は、誰かが越えるまで壁に見える
It wasn’t, in my view, physical, but it did become to some extent psychological.
私の見るところ、それは体の壁ではなかった。けれど、ある程度までは心の壁になっていた。
— Roger Bannister(四分の壁について。Academy of Achievement のインタビュー)
Episode四分の壁
一マイル、およそ千六百メートルを、四分を切って走った人は、まだいませんでした。オーストラリアのジョン・ランディは四分二秒を何度も出しながら、あと二秒が縮まりません。彼はそれを「壁のようだ」と言いました。
ある春の日、イギリスのオックスフォード。横から強い風が吹きつけ、医学生のロジャー・バニスターは、その日の挑戦を取りやめかけました。二人の仲間が交代で前を引き、ゴールまで二百ヤードあまりのところで、バニスターが前に出ます。三千人ほどの観客の前で、記録は三分五十九秒四でした。
四十六日後、フィンランドのトゥルクで、ランディが三分五十七秒九で走ります。何度もはね返されていた壁を、あっさり越えたのです。その夏、カナダのバンクーバーで、二人は初めて同じレースで顔を合わせました。世界で四分を切ったことがあるのは、この二人だけでした。最後のカーブで、先頭のランディが左の肩ごしに後ろを振り返った瞬間、バニスターが右側から抜き去ります。二人とも、四分を切っていました。
Origin体ではなく、心の壁
「四分は人間には無理だと思われていた」と、のちに語られるようになりました。けれど、バニスター自身はそうは見ていません。生理学を学んでいた彼には、四分二秒や四分一秒で走れる人がいるのに、誰かがもう少しよく鍛え、越えるべき目標があると知ったうえで挑めば越えられない、という理屈が分かりませんでした。
四分が壁らしく見えたのは、記録がちょうど、一周四分の一マイルのトラックを、一周一分で四周という、きりのいい数に差しかかっていたからだ、と彼は振り返っています。体の壁ではなかった。けれど、何度もはね返されるうちに、ある程度までは心の壁になっていた、と。
Meaning誰かが見た景色は、もう壁ではない
四分二秒と三分五十九秒の差は、体の差としてはわずかです。それでも、まだ誰も見ていない景色の手前では、苦しくなったところが限界のように感じられます。どこまで行けば着いたことになるのか、手がかりがないからです。
誰かがその景色を見ると、限界の位置が書き換わります。苦しさは同じでも、それが行き止まりではないと分かっている。ランディの体は、四十六日で変わったわけではありません。いちばん大きく変わったのは、その先に景色があると知っていることでした。
So what一度、向こう側を見にいく
できるかどうか分からないことは、頭の中で考えているうちは壁のままです。「壁のようだ」と言葉にすると、壁はかえって本物らしくなっていきます。
だから、すでに向こう側を見た人のそばに立つ。それだけで、限界の位置は書き換わります。誰かが見た景色は、もう壁ではありません。あとは、そこまでの道を自分で走るだけです。
Sources
- Roger Bannister, “Sir Roger Bannister on Vision”, Academy of Achievement achievement.org
- “1954: Bannister breaks four-minute mile”, BBC On This Day news.bbc.co.uk(1954 年 5 月 6 日、オックスフォード、3 分 59 秒 4)
- Roger Bannister, First Four Minutes, Putnam, 1955
- 「Four-minute mile」Wikipedia(Landy、1954 年 6 月 21 日 トゥルク、3 分 57 秒 9)
- 「Athletics at the 1954 British Empire and Commonwealth Games – Men's 1 mile」Wikipedia(Bannister 3 分 58 秒 8、Landy 3 分 59 秒 6)
- File:Bannister_and_Landy.jpg Wikimedia Commons(像: Jack Harman、1967。写真: Paul Joseph、CC BY 2.0。カナダのパノラマの自由による)