No. 27

仮説思考

仮説は、早く持ち、質で磨く

Episodeブロード・ストリートのポンプ

1854 年の夏の終わり、ロンドンのソーホーで、コレラが一気に広がりました。わずかな区域の中で、十日のうちに五百人を超える人が亡くなります。そのころ、コレラは悪い空気から移ると考えられていました。

ロンドンの医師ジョン・スノウは、違う見当を持っていました。五年前から、コレラは汚れた水を通って移るのではないかと考えていたのです。だから、彼が最初に確かめたのは、空気ではなく水でした。

As soon as I became acquainted with the situation and extent of this irruption of cholera, I suspected some contamination of the water of the much-frequented street pump in Broad Street, near the end of Cambridge Street …

このコレラの噴き出し方と広がりを知るとすぐに、わたしは、ケンブリッジ・ストリートの端に近い、人がよく水を汲みに来るブロード・ストリートのポンプの水が汚れているのではないかと疑った。

— John Snow, On the Mode of Communication of Cholera, 2nd ed., 1855

水を見ても、汚れはほとんど目に見えません。それでもスノウは見当を手放さず、それを確かめるのに要ることだけを調べに出ます。亡くなった人の名簿を写させてもらい、一軒ずつ訪ねて、どこのポンプの水を飲んでいたかを尋ねていきました。亡くなった人の家は、ほとんどがそのポンプのそばに集まっていました。

いちばん雄弁だったのは、例外のほうです。ポンプのすぐ近くの救貧院では、五百三十五人のうち亡くなったのは五人だけでした。敷地に自前のポンプ井戸があり、通りのポンプへ水を汲みに行くことはなかったのです。七十人あまりが働く醸造所では、重くかかった人が一人もいません。働き手には麦芽酒が配られ、通りのポンプの水は飲んでいなかった。見当を持っていたから、外れた点が、見当を裏づける証拠に変わりました。

九月はじめの夜、スノウは教区の役員会でこの結果を話します。翌日、ポンプの柄が外されました。

ソーホーの街路図。家ごとに亡くなった人の数が黒い短い棒の積み重ねで示され、ブロード・ストリートのポンプのまわりに黒い棒が密集している。
スノウの本の第二版(1855)に付けられた地図。黒い棒が、ポンプのまわりに積み重なっている。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

Origin仮の答えから、始める

情報がそろう前に仮の答えを持ち、それを確かめるのに要ることだけを調べる。経営の世界では、内田和成の『仮説思考』がこの進め方を広く伝えました。

集めた情報から答えが浮かび上がってくるのを待つのではなく、答えのほうから、集めるべき情報を決める。スノウが名簿を手に戸をたたいて回ったのは、この向きでした。

Meaning仮説は、質で決まる

ただし、仮説なら何でもいいわけではありません。「売上が落ちたのは、市場の環境が悪いからだ」という仮説は、外れようがないかわりに、何も教えてくれません。スノウの見当は違いました。あのポンプの水だ、と一つの場所を指していた。だから、どの家を訪ね、何を尋ねればよいかが決まり、救貧院や醸造所のような例外が、そのまま試金石になったのです。

よい仮説は、具体的で、確かめることができ、外れたときにも何かが分かる形をしています。そして、もしそれが正しければ、明日の行動が変わる。ポンプの柄を外す、という行動のように。誰もが思いつく仮説ではなく、少し勇気のいる、いまの常識に逆らう仮説ほど、確かめたときに残るものも大きくなります。

So what早く持ち、鋭く問う

分からないことが多いときほど、もっと情報を集めたくなります。集めれば、答えのほうから浮かび上がってくる気がするからです。スノウの手元にあったのは、亡くなった人の名簿と、一つの見当だけでした。

手がかりが少ないうちに、仮の答えを置く。どの家の戸をたたけば確かめられるかが分かるくらい、具体的にしておく。確かめて、外れたら直す。早く持つことと同じだけ、その質を磨くことに意味があります。

Sources

  1. John Snow, On the Mode of Communication of Cholera, 2nd ed., much enlarged, London: John Churchill, 1855.「The Cholera near Golden Square」の節(十日で五百人を超える死者、ポンプへの疑い、名簿の写し、救貧院 535 人中 5 人、醸造所の七十人あまり、9 月 7 日の役員会と翌日のポンプの柄の撤去、地図の説明)。全文 gutenberg.org/ebooks/72894。初版は 1849 年 8 月(第二版の序文)
  2. 地図: John Snow, “Map showing the situation of the deaths in and around Broad Street, Golden Square,” in the 2nd ed. of On the Mode of Communication of Cholera, 1855(所蔵本 archive.org/details/b28985266). commons.wikimedia.org/wiki/File:Snow-cholera-map-1.jpg
  3. 内田和成『仮説思考 ― BCG流 問題発見・解決の発想法』東洋経済新報社、2006