No. 52
存在と時間
あることの不思議と、未来から来る時間
For manifestly you have long been aware of what you mean when you use the expression “being”. We, however, who used to think we understood it, have now become perplexed.
きみたちは「ある」という言葉を使うとき、自分が何を言おうとしているのか、とうの昔から分かっているのだろう。私たちも、かつては分かっているつもりだった。けれどいまは、途方に暮れている。
Plato, Sophist 244a(『存在と時間』の巻頭。Macquarrie & Robinson 訳)
Episode未完の本
マールブルクの大学で教えはじめて四年ほどたったころ、マルティン・ハイデガーは『存在と時間』を世に出しました。教授の席をめぐって業績を問われ、書きかけの原稿を急いで印刷に回したのです。扉には、師のフッサールへの献辞がありました。
本はプラトンの対話篇の一節から始まります。「ある」という言葉の意味を、かつては分かっているつもりだった。けれどいまは途方に暮れている。ハイデガーは続けて、私たちはいま、その問いに途方に暮れることさえしていない、と書きました。だからまず、問いそのものを目覚めさせなければならない、と。
ところが、この本は最後まで書かれませんでした。予告されていた「時間と存在」という部も、その先の第二部も、出ることはなかった。世に出たのは、はじめに構想された全体のおよそ三分の一です。初版には「前半」と記されていましたが、四半世紀ののち、ハイデガーは新しい版でその文字を消します。これだけの年月を経て、前半を書き直さずに後半を継ぎ足すことはもうできない、と添えて。二十世紀の哲学を大きく動かしたこの本は、問いを開いたまま、閉じずに残されたのです。
Originあるものと、あること
ハイデガーが区別したのは、二つのことでした。机やコップや木のような、存在するもの。そして、それらが「ある」ということ、つまり存在そのもの。私たちは前者についてはいくらでも語れるのに、後者については、ほとんど何も考えずに暮らしています。のちの講義を、彼はこう問うところから始めました。なぜ、そもそも存在するものがあって、むしろ無ではないのか。
この問いの入り口を、彼は人間に見つけます。人間は、ただあるだけではなく、自分があるということが、自分にとって問題になっている。どう生きるか、何者になるかを、いつも気にかけながらある。だから人間を通してなら、「ある」とはどういうことかに近づける、と考えたのです。
Meaning時間は、先からやってくる
では、人間はどのようにあるのか。ハイデガーの答えは、時間でした。ただし、時計が刻む、過去から未来へまっすぐ流れる時間ではありません。
The primary phenomenon of primordial and authentic temporality is the future.
根源的で本来的な時間性の、第一の現象は、未来である。
— ハイデガー『存在と時間』第 65 節、SZ 329(Macquarrie & Robinson 訳、p. 378)
人は、いつもすでに、自分の可能性の方へと身を投げかけています。同時に、自分で選んだのではない場所や時代に、すでに投げこまれてもいる。先へ投げかけることと、すでに投げこまれていることのあいだで、いまという時間が開かれる。時間は、過去から押し出されてくるのではなく、自分の可能性の方から、こちらへ向かってやってくる。
So what問いを、先に置く
忙しい日々の中で、私たちは、あるものをどう扱うかに追われ、それがあること自体に驚く暇を失っていきます。時間も、時計の上の数字として、ただ過ぎていくものになってしまう。
答えの出ない問いは、片づけずに先に置いておく。ハイデガーの本も、未完のまま、問いを先に置いて終わりました。先に置いた問いがあると、いまという時間は、ただ過ぎていく時計の数字ではなくなります。その問いの方から、こちらへ流れてくる時間になります。
Sources
- Martin Heidegger, Sein und Zeit, 1927(第七版 1953 の前書き。英訳: minkowska.com)。英訳 Being and Time, John Macquarrie & Edward Robinson 訳, 1962(巻頭: beyng.com, p. 19、第 65 節 SZ 329: beyng.com, p. 378)。邦訳『存在と時間』
- Martin Heidegger, Einführung in die Metaphysik, 1953(1935 年の講義)。邦訳『形而上学入門』
- Mark Wrathall, “Martin Heidegger,” Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2025(SEP)
- Sacha Golob, review of Lee Braver (ed.), Division III of Heidegger’s Being and Time, Notre Dame Philosophical Reviews, 2016.05.28(NDPR)
- Plato, Sophist 244a