No. 50

壊れたハンマー

うまく働くものは、姿を消している

People tend to be unaware of an app’s navigation until it doesn’t meet their expectations.

人は、アプリの道案内が期待どおりに働かなくなるまで、それがあることに気づかない。

Apple, Human Interface Guidelines(Navigation)

Episode折れたハンマー

釘を打っているとき、人はハンマーを見ていません。見ているのは釘の頭と、打ちつける板です。手の中のハンマーは、腕の続きのようになって、意識からすっと消えています。

ところが、ある一打で柄が折れる。その瞬間、ハンマーは急に目の前に現れます。重さ、木目、ひびの入り方。さっきまで見えていなかった道具が、ただの「物」として、そこに転がっている。壊れたとき、はじめて私たちは、それがずっとそこにあったことに気づくのです。

Origin手もとにあるものと、目の前にあるもの

哲学者のハイデガーは、この違いに名前をつけました。使っているあいだ、道具は手もとに溶けこみ、目立たないまま働いている。それが手許存在です。壊れたり、なくなったり、邪魔になったりしたとき、道具は手もとから離れて、眺められる対象として目の前に現れる。それが手前存在です。

のちに哲学者のグレアム・ハーマンは、この考えをさらに押し広げました。道具に限らず、あらゆる物は、私たちがどれだけ使っても眺めても、その全体を見せることはない。物はいつも、私たちとの関わりの奥へと身を引いている、と。彼は物と、その性質の見え方を四つの面に分けて考え、それを「四方対象」と呼びました。壊れたハンマーが見せるのも、物の全体ではなく、ふだん隠れていた一つの面にすぎないのです。

Meaningうまく働くものは、姿を消す

よくできた画面の道案内も、同じふるまいをします。迷わずに目的の場所へたどり着けているあいだ、人は道案内のことを考えません。考えずにすむこと、それ自体がうまく働いている証です。そして期待と食い違った瞬間にだけ、急に姿を現し、使う人をつまずかせます。

だから、人のためにつくられたものの良し悪しは、うまくいっているときには見えにくい。手がかりになるのは、使う人がつまずき、手を止め、首をかしげる瞬間です。エラーは失敗であると同時に、ふだん隠れていた仕組みが、一瞬だけ姿を見せる窓でもあります。

So what気づかれないことを、目指す

何かをつくる人は、つい自分の工夫に気づいてほしくなります。けれど、本当によく働く道具は、使う人の意識からすっと消えて、その人がしたいことだけを前に出します。

だから、気づかれないことを目指す。そして、気づかれてしまった瞬間を、見逃さずに拾う。つまずきの一つひとつに、ふだんは姿を消している仕組みが、どう働いていたのかが映っているのだと思います。

Sources

  1. Apple, Human Interface Guidelines, “Navigation”(冒頭の引用)
  2. Martin Heidegger, Sein und Zeit, 1927(第 15–16 節、道具の分析)
  3. グレアム・ハーマン『四方対象 ― オブジェクト指向存在論入門』山下智弘ほか訳、人文書院、2017。原著 Graham Harman, The Quadruple Object, 2011