No. 08
後の先
遅れて立ち、先に組む
Episode木彫りの鶏
中国の古い書『荘子』に、こんな話があります。闘鶏を育てる名人が、王に鶏を預けられました。十日たって王が尋ねると、まだです、いまは空威張りして気負っています、と答える。また十日たつと、まだです、ほかの鶏の声や影に、まだ応じてしまいます。さらに十日、まだです、にらみつけて気が盛んです。そしてもう十日。
幾矣。雞雖有鳴者、已无變矣。望之似木雞矣、其德全矣。異雞无敢應者、反走矣。
ほぼよいでしょう。ほかの鶏が鳴いても、もう顔色ひとつ変えません。遠目には木彫りの鶏のよう。その徳がそろったのです。ほかの鶏は向かってこようとせず、背を向けて逃げていきます。
— 『荘子』達生篇
Origin三つの先
武道には「先」を取る型があります。宮本武蔵は『五輪書』で、戦いの初めには三つの先しかないと書きました。自分から懸かる懸の先。相手が懸かってくるときの待の先。双方が同時に懸かる躰々の先。いま「後の先」と呼ばれるものに近いのは、二つめの待の先です。
敵かゝりくるとき、我もなを強くなつて出るとき、敵のかゝる拍子の替る間をうけ、其まゝ勝を得事。是、待の先の理也。
敵が懸かってくるとき、こちらもいっそう強く出て、敵の懸かる拍子が替わる間をとらえ、そのまま勝つ。これが待の先の理である。
— 宮本武蔵『五輪書』火の巻「三つの先と云事」
Meaning待つことは、応じてしまうことではない
木鶏の話で、名人が三度目までに挙げた未熟さは、気負うこと、声や影に応じてしまうこと、にらんで気を張ること、でした。どれも、相手より先に自分が動いてしまう状態です。後の先が難しいのは、ここにあります。相手の誘いや揺さぶりにいちいち応じていては、遅れて立つことはただの遅れになる。応じずにいながら、相手の拍子が替わるその一瞬だけは、誰よりも速く応じる。
武蔵は、三つの先を書いたあとで、いつも自分から懸かればよいわけではないが、できるなら自分から懸かって相手を思うように動かしたい、とも添えています。待つことそのものに価値があるのではありません。後の先は、自分から懸かれないときにも主導権を手ばなさない、もう一つの先の取り方なのです。
So what遅れて立ち、先に組む
先に動けないことを、遅れだと感じる場面があります。会議で最初に口を開けなかった。相手の提案に、すぐには返せなかった。けれど、相手の話を最後まで聞いてから返す一言が、いちばん的を射ていることもあります。
大事なのは、待っているあいだに、心が相手の声や影に引っぱられていないかです。慌てて立たずに、相手の動きを見る。見ながら、からだは前に向けておく。そして替わり目が来たら、迷わず組む。木彫りの鶏のように静かでいることは、何もしないことではなく、いちばん速く動くための構えなのだと思います。
Sources
- 『荘子』外篇・達生「紀渻子爲王養鬭雞」。Wikisource
- 宮本武蔵『五輪書』火の巻「三つの先と云事」。本文は播磨武蔵研究会の校訂による(転載ページ)
- 図は『五輪書』の三つの先の記述をもとに描いたもの