No. 99
遅咲き
自分のテンポで、鐘を鳴らす
Episode大舞台の前に、耳を失う
東京で育ち、母からピアノを習った一人の少女がいました。十七歳で演奏の場に立ち、二十八歳でドイツへ渡ります。ベルリンの音楽学校を出たあともヨーロッパにとどまり、演奏家としての道を探しつづけました。名の知れた演奏家の中には、彼女を支える人もいました。
三十代のころ、成功を約束されたはずのリサイタルがめぐってきます。ところがその直前、風邪をこじらせて、耳が聞こえなくなってしまいました。演奏会は流れます。失意の中でストックホルムに移り、耳の治療を受けながら、音楽学校で教える資格をとりました。そこから長いあいだ、ピアノを教え、ヨーロッパのあちこちで弾く暮らしが続きます。
やがて、一本のテレビのドキュメンタリーが彼女の半生を取り上げました。放送は大きな反響を呼び、その年に出た初めてのアルバムは、クラシックでは異例の売れ方をします。六十代になってからのことでした。フジコ・ヘミングです。
Origin鐘の鳴る曲
彼女の名を広めたのは、リストの「ラ・カンパネラ」でした。カンパネラは、イタリア語で小さな鐘のこと。パガニーニのヴァイオリン協奏曲で、旋律に合わせて鳴らされる小さなハンドベルを、リストがピアノに移した曲です。右手が鍵盤の上を大きく跳び、高い音を何度も打って鐘の響きをつくります。腕の見せどころとして、多くのピアニストが速さと正確さを競ってきた難曲です。
彼女の演奏は、評価がはっきり分かれました。本人はこう話しています。
私のピアノはセンチメンタルで、中には“お涙ちょうだいだ”って言う人もいるけど、そんな気持ちで弾いているわけじゃなくて、自然とそうなっちゃうの
— フジコ・ヘミング(『週刊女性』2018 年 7 月 10 日号)
八十代になっても世界の演奏会を回り、耳を失ったときでさえ、やめたいと思ったことはないと語っています。
Meaning生き方が、音に出る
若いうちに認められることを、私たちはつい成功と呼びます。けれど、彼女の音を多くの人が受けとったとき、その音にはもう、聞こえなくなった耳も、名前の知られなかった長い年月も、教えながら弾きつづけた各地の会場の時間も、溶けこんでいました。彼女自身、記録映画の中で、命をかけて弾くから自分の生き方がすべて音に出るのだ、と語っています。
速さや正確さは、比べることができます。だから人は、比べられるものから磨きます。けれど、聴く人が受けとるのは、比べる物差しの外にあるものでもあります。傷のない音は正確です。それでも心に届くのは、傷を抱えたまま鳴っている音のほうだったりするのです。
So what比べられないものを、積む
まわりが速さを競っているとき、自分だけ遅れているように感じることがあります。
そういうときほど、自分の曲を、自分のテンポで弾きつづける。誰にも知られていない年月も、教えながら弾いた小さな会場の夜も、比べられないまま、いつか一つの音になって届きます。
Sources
- 「世界的ピアニスト フジコ・ヘミング、下北沢で女の子にかけられてうれしかった言葉」『週刊女性』2018 年 7 月 10 日号(週刊女性PRIME 2018 年 7 月 1 日掲載)jprime.jp
- 坂本道子「60代で世界に見いだされた奇跡のピアニスト 映画『フジコ・ヘミングの時間』を観て」『クリスチャントゥデイ』2018 年 8 月 13 日 christiantoday.co.jp(経歴、映画の中の言葉)
- 「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」NHK、1999 年放送
- フジコ・ヘミング『奇蹟のカンパネラ』1999(CD)
- Franz Liszt, Grandes études de Paganini S.141 第3番「ラ・カンパネラ」1851(原曲は Niccolò Paganini, ヴァイオリン協奏曲第2番 ロ短調 第3楽章)Wikipedia