No. 01
ゆっくり急げ
Festina Lente
Man darf nie an die ganze Straße auf einmal denken, verstehst du? Man muss nur an den nächsten Schritt denken, an den nächsten Atemzug, an den nächsten Besenstrich.
いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいけない。つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。
ミヒャエル・エンデ『モモ』(1973)。道路掃除夫ベッポの言葉
Episode道路掃除夫と、のろいカメ
町はずれの円形劇場の廃墟に、モモという女の子が住んでいました。話を聞くのがとても上手な子で、町の人はみんな、困りごとを抱えてモモのところへやって来ます。
モモのいちばんの友だちは、口数の少ない道路掃除夫のベッポでした。ベッポは、果てしなく長い道路を前にすると、胸が苦しくなるのだと言います。急いで掃いても、前を見ると道は少しも短くなっていない。だから、いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいけない。つぎの一歩、つぎのひと呼吸、つぎのひと掃きのことだけを考える。そうすると、いつのまにか長い道路を掃き終えていて、息も切れていない、というのです。
やがて町に、灰色の男たちがやって来ます。時間を節約して貯金しましょう、と人々に勧めてまわる男たちです。言われたとおりに急いで暮らすほど、人々の毎日はかえって痩せていきました。
灰色の男たちに追われるモモを導いたのは、一匹のカメでした。甲羅に短い言葉を浮かび上がらせ、ほんの少し先のことが分かるカメです。のろのろと歩くそのカメについていくと、モモは急ぐ男たちの手をすり抜け、時間をつかさどる人のところへたどり着きます。
Meaning遠回りに見えて、いちばん早く着く道
ゆっくり急げは、古くはローマの皇帝の口癖だったと伝えられる言葉です。急ぐべきときにこそ、足元を確かめて一歩ずつ進む。慌てて走ると転び、転べばかえって遅れます。
遠回りに見えても、余白や遊びを大事にして、ゆっくりに見えるけれど実は急いでいる。そんな動き方を、この言葉はすすめています。
ただし、ゆっくりしていればいい、という言葉ではありません。目指すところへは、急いでいる。その急ぎ方が、静かで、確かなのです。速さと丁寧さは、どちらかを選ぶものではなく、一つの動きの中で両立させるものです。
Episode雨だれは、石を穿つ
古い中国に、こんな話が残っています。漢の時代、ある王が、都に背いて兵を挙げようとしていました。家臣の枚乗は、思いとどまるように書き送ります。大きな山から落ちる雫も、長い年月をかければ石に穴をあけてしまう。一本の細い縄でも、くり返しこすれば木を断ち切る。小さなことの積み重ねを、侮ってはいけない、と。
この戒めは、やがて「雨垂れ石を穿つ」という言葉になって、遠く海を渡りました。一滴の雨には、石を削る力などありません。けれど同じ場所に、同じように、何年も落ちつづけると、固い石にもくぼみが生まれる。古い寺の石段が、人の足でなめらかにすり減っているのも、同じことです。
So whatつぎのひと掃きから
大きな仕事を前にすると、その長さに目がくらみます。やることが山のように見えて、手当たり次第に走りたくなる。けれど急いで手を動かすほど、前を見ても道は少しも短くなっていないように感じます。
そんなときは、道路ぜんぶではなく、つぎのひと掃きを見る。考え、作っては壊し、仮説を練り直す。外からは遠回りに見えるその一歩ずつが、いちばん確かに前へ進む道です。のろいカメのあとを歩いたモモのように。長い時間を生きるつもりで、じっくりやる。それが、いちばん遠くまで行く急ぎ方なのだと思います。
Sources
- Michael Ende, Momo, Thienemann, 1973。邦訳 ミヒャエル・エンデ『モモ』大島かおり訳、岩波書店。ベッポの言葉の原文は Goodreads の引用 ほかによる(頁は未照合)
- 『漢書』枚乗伝(「泰山の霤は石を穿ち、単極の綆は幹を断つ」)
- Suetonius, De Vita Caesarum, Divus Augustus 25.4(Loeb Classical Library, 1913)。 penelope.uchicago.edu