No. 33
群盲象を評す
触れたところだけが、象のすべてに見える
People who only see one side of things / Engage in quarrels and disputes.
ものごとの一面だけを見る人々は、言い争い、いさかいを起こす。
『ウダーナ』6.4。ブッダが説いたとされる偈(John D. Ireland の英訳から)
Episode王さまの前に連れてこられた一頭の象
古いインドの経典に、こんな話が残っています。ある王が、生まれつき目の見えない人たちを集め、その前に一頭の象を連れてこさせました。そして一人ひとりに、象のどこか一か所だけを触らせたのです。
頭に触れた人は、象は水がめのようだと言いました。耳に触れた人は、穀物をあおぐ箕のようだと言い、牙に触れた人は鋤の刃のようだと言いました。鼻は鋤の柄、胴は蔵、足は柱、尻は臼、尾は杵、尾の先の毛は箒のようだ、と。
誰も嘘はついていません。触れたものを、触れたとおりに話しただけです。けれど話はかみ合わず、象とはこういうものだ、いや違う、と言い合ううちに、とうとう拳で殴り合いになりました。王はそれを見て、愉快そうに眺めていたといいます。

この話は海を渡り、日本では「群盲象を評す」という言葉になりました。江戸の絵師は、象のまわりに集まった僧たちを、どこかおかしみのある筆で描いています。
Meaning一部を知ることと、全体を知ったつもりになること
群盲象を評すとは、ものごとの一部分だけに触れて、それが全体だと思い込んでしまうことです。
この話で間違っていたのは、触れたことではありません。触れたところは、どれも本物の象です。間違いは、自分の手の中にあるものを、象のすべてだと言い切ったところにあります。そして、自分と違うことを言う人を、間違っていると決めつけたところに。
もう一つ見落とせないのは、王の立ち位置です。王だけが、象の全体と、言い争う人たちの両方を見ていました。全体が見える場所に立てるかどうかで、同じ出来事がまるで違って見えます。
So what手を持ち寄れば、象になる
大きなものに向き合うとき、私たちはたいてい、その一部にしか触れられません。仕事でも、暮らしでも、誰かのことを分かろうとするときでも。
だからこそ、自分が触れているのは象のどこなのかを、ときどき確かめたい。そして、違うことを言う人がいたら、言い負かす前に、その人がどこに触れているのかを聞いてみる。柱と、箕と、箒を持ち寄ったとき、はじめて一頭の象が立ち上がります。
Sources
- “Tittha Sutta: Sectarians (1),” Udāna 6.4, tr. John D. Ireland。 accesstoinsight.org
- 英一蝶「衆瞽探象之図」(1888 年刷)。 Commons(パブリックドメイン)