No. 18
動的平衡
軸を持って、変わりつづける
Episode体重の変わらないネズミ
一九三〇年代のニューヨーク。ドイツを逃れて海を渡った生化学者、ルドルフ・シェーンハイマーは、ある実験に取り組んでいました。ふつうの窒素より少しだけ重い窒素で、食べものの中の粒に目印をつける。それを大人のネズミに食べさせ、目印がどこへ行くのかを追うのです。
食べたものは、体の中で燃やされて消えていくはずでした。ところが目印のついた粒は、燃えて消えるどころか、すぐに筋肉や内臓のたんぱく質の中に入りこんでいました。それなのに、ネズミの体重は増えていない。入ってきた粒と同じだけ、もとからあった粒が壊され、体の外へ出ていったのです。体は、固い建物のようなものではありませんでした。たえず入れ替わりながら、同じ形を保ちつづける流れだったのです。

シェーンハイマーは、この発見を本にまとめきらないまま、その数年後に亡くなりました。死後に出た講義録の題は「体の成分の、動的な状態」でした。
Origin壊しながら、作り変える
半世紀あまりのち、生物学者の福岡伸一は、この仕事にあらためて光を当て、生きもののあり方を「動的平衡」と呼びました。
動的平衡というのは、作ることよりも壊すことを一生懸命やっていて、壊しながら作り変えて、その材料を絶えず食べ物から得ている、ということです。
福岡伸一「生命を捉えなおす ― 動的平衡の視点から」、『ファイナンス』2026年9月号
先に壊すから、傷を治せるし、まわりの変化に合わせて形を少しずつ変えていける。変わらないために、変わりつづけているのです。
京都の古い禅寺で副住職をつとめる松山大耕は、この言葉を、長く続く組織や生き方にも重ねます。
確固たる軸を持ったうえで、時代の流れに対して常に動き続ける、こういった状態を動的平衡と言います。つまり芯は変えず、一方で時代の変化に対応する柔軟さも持ち合わせていなければなりません。
松山大耕(臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院 副住職)、2018
Meaning軸は、何でできているか
ネズミの体をつくる粒の多くは、しばらくすると別の粒に入れ替わっています。それでもネズミは、昨日と同じネズミです。残っているのは材料ではなく、壊しては作り直す、そのやり方のほうでした。
人や組織の軸も、同じです。軸とは、持ちつづけている道具や場所や肩書きのことではなく、くり返しつづけている営みのことです。松山は、その営みを目先の得のためにしてはいけない、と言います。
物事を究めるためには、目の前にある短絡的な利益を求めるのではなく、それを実践すること自体を目的にしなければなりません。
松山大耕、2018
見返りを目的にすると、見返りが得られないとき、営みはたやすく止まります。けれど、することそのものが目的なら、まわりの流れがどう変わっても続けられる。欲を持つのが悪いのではなく、自分のためだけの小さな欲より、長い目で社会のためになる大きな欲を持てばいい、とも松山は言います。大きな欲は、軸になります。
So what守るのは、形ではなく営み
変わらないことと、変わりつづけること。そのどちらかを選ばなければならないように見えます。けれど生きものの体は、その二つを毎日、同時にやってのけています。
何を守るのかと聞かれたら、形ではなく、くり返している営みのほうを答える。することそのものを目的に、長い目で人のためになる営みを続ける。その営みさえ手放さなければ、やり方も、場所も、自分の一部さえも、時代に合わせて壊して作り直していい。入れ替わりつづけることで、かえって同じ自分でいられます。
Sources
- 福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、2007(第8章「生命は分子の『淀み』― シェーンハイマーは何を示唆したか」)
- 福岡伸一『動的平衡 ― 生命はなぜそこに宿るのか』木楽舎、2009
- 福岡伸一「生命を捉えなおす ― 動的平衡の視点から」講演録、財務省『ファイナンス』2026年9月号 mof.go.jp
- Rudolf Schoenheimer, The Dynamic State of Body Constituents, Harvard University Press, 1942。経歴と実験: Rudolph Schoenheimer(Wikipedia)
- 松山大耕インタビュー、HR Summit 2018 hrpro.co.jp