No. 102
4分33秒
静けさの中にも、音は鳴っている
Until I die there will be sounds.
死ぬまで、音はありつづける。
John Cage, “Experimental Music,” in Silence, 1961
Episode弾かれなかったピアノ
1952年の夏の終わり、ニューヨーク州ウッドストックの近くにある、小さな演奏会場。ピアニストのデイヴィッド・チューダーが舞台に出て、ピアノの前に座りました。鍵盤の蓋を閉じ、ストップウォッチを見つめる。そのまま、一音も弾きません。しばらくして蓋を少し開け、また閉じる。それが、楽章の区切りでした。三つの楽章が過ぎ、四分三十三秒がたったところで、曲は終わりました。
作曲したジョン・ケージは、あとでこう振り返っています。第一楽章のあいだ、外では風がそよいでいるのが聞こえた。第二楽章では、雨粒が屋根をぱらぱらと打ちはじめた。第三楽章では、客席の人たち自身が、しゃべったり出ていったりして、いろいろな面白い音を立てた。怒った客もいました。けれどケージにとって、そのホールは少しも静かではありませんでした。
Origin無響室で聞いた二つの音
その数年前、ケージは大学の無響室に入りました。壁も床も天井も、音を吸いこむようにつくられた部屋です。完全な静けさを聞けるはずでした。ところが彼は、二つの音を聞きます。一つは高く、一つは低い。係の人に尋ねると、高いほうは働いている自分の神経の音、低いほうは流れている自分の血の音だと言われました。
音のない場所は、どこにもない。生きているかぎり、自分の体が鳴っている。死ぬまで、音はありつづける、とケージは書いています。同じころ、友人の画家ロバート・ラウシェンバーグは、何も描かれていない真っ白な絵を描いていました。ケージはその白い画面を、光と影と塵が降り立つ空港だと呼びました。何もない画面に、部屋の光と、前に立つ人の影が映りこむ。弾かれない曲も、白い絵も、空けておくことで、そこにすでにあるものを迎え入れます。
Meaning静けさとは、聞こうとしないこと
四分三十三秒は、音のない曲ではありません。演奏者が音を出さないことで、聞き手の耳が、ふだん聞き流している音のほうへひらかれる曲です。風、雨、隣の人の咳、椅子のきしみ。それらは、曲が始まる前から鳴っていました。変わったのは、音ではなく、聞き方のほうです。
私たちが静かだと感じるのは、音がないからではなく、聞こうとしていないからかもしれません。意図して出す音だけが音楽なのではない。意図の外にある音に耳を澄ますとき、世界はいつでも鳴っています。
So what自分の四分三十三秒
手を止めて、四分三十三秒だけ、聞こえてくるものに耳を向けてみます。空調の低いうなり、遠くの車、鳥、自分の呼吸。うるさいと思っていたものが、ふと、ひとつの響きとして立ち上がってくることがあります。
何かを足さなくても、そこにはもう、たくさんのものがある。空けておくことは、受けとるための準備です。
Sources
- John Cage, “Experimental Music”(1957年の講演), in Silence: Lectures and Writings, Wesleyan University Press, 1961(無響室の二つの音、“Until I die there will be sounds.”)
- 初演(1952年8月29日、ニューヨーク州ウッドストック近郊、演奏 David Tudor)と三つの楽章の長さは、当日のプログラムを引く資料による。Cleveland Classical; Wikipedia “4′33″”(Bormann 2005 を出典とする)
- ケージの振り返り(風・雨・客席の音)は、1968年のインタビューとして引かれるもの。Richard Kostelanetz, Conversing with Cage, 2nd ed., Routledge, 2003 ほか(原本の頁は未照合)
- Cage, “On Robert Rauschenberg, Artist, and His Work,” Metro 2, 1961(『Silence』に再録。“airports for the lights, shadows and particles”)。SFMOMA, “White Painting [three panel]” sfmoma.org