No. 47

分類

分け方は、分ける人の目を映す

… notoriamente no hay clasificación del universo que no sea arbitraria y conjetural. La razón es muy simple: no sabemos qué cosa es el universo.

よく知られているように、恣意的で推測にもとづかない宇宙の分類というものは存在しない。理由はごく単純だ。私たちは、宇宙が何であるかを知らないのである。

Jorge Luis Borges, “El idioma analítico de John Wilkins,” 1942

Episode十一ページの、世界の目録

1735 年、二十八歳のカール・リンネは、一冊の薄い本を出しました。『自然の体系』です。大判の紙に刷られた表で、ページ数はわずか十一ほど。そこに、動物・植物・鉱物の三つの界の全体が収まっていました。動物は、四足類・鳥類・両生類・魚類・昆虫類・蠕虫類の六つに分けられています。

横長の大きな表。ラテン語の見出しの下に、細かな文字で動物の名が六つの列に分けて並んでいる。
リンネ『自然の体系』初版(1735)の動物界の表。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

世界を残らず見わたせる一枚の表。この本は版を重ねるごとに膨らみ、やがて生き物を二つの語で呼ぶ約束が生まれます。その約束は、いまも世界中の人が同じ生き物を同じ名で呼び合うために使われています。

Episode遠くから見ると、蠅に見えるもの

それから二百年あまり後、ボルヘスは短いエッセイの中で、ある中国の百科事典に書かれているという、動物の分け方を紹介しました。

動物は次のように分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)防腐処理されたもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳飲み豚、(e)人魚、(f)架空のもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類に含まれるもの、(i)狂ったように震えるもの、(j)数えきれないもの、(k)ごく細い駱駝の毛の筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壺を壊したもの、(n)遠くから見ると蠅に見えるもの。

Jorge Luis Borges, “El idioma analítico de John Wilkins,” 1942

この百科事典は、どこにもありません。けれど一つ一つの項目は、どれも現実に在りえます。おかしいのは、分ける基準が項目ごとに変わり、互いに重なり、分類そのものまで紛れこんでいるところです。のちにミシェル・フーコーは、この一節を読んで笑ったところから一冊の本を書きはじめました。笑いのあとに残ったのは、そのように考えることの、まったくの不可能さだった、と。私たちが笑うのは、分ける基準を知らず知らずのうちに一つに揃えている自分に、そこで気づくからです。

Meaning考えるな、見よ

では、ものの仲間は、共通の性質でくっきり分かれているのでしょうか。ウィトゲンシュタインは晩年、読者に一つの課題を出しました。私たちが「ゲーム」と呼んでいるものを見てみよう。盤の上の遊び、カード、球技、輪になって踊る遊び。これらすべてに共通するものは何か。

Wie gesagt: denk nicht, sondern schau!

繰り返すが、考えるな、見よ!

Ludwig Wittgenstein, Philosophische Untersuchungen, §66, 1953

勝ち負けのない遊びもあれば、腕のいらない遊びもある。見ていくと、すべてに共通する一つの性質は見つかりません。見えてくるのは、重なり合い、交差する似かよいの網です。家族の一人ひとりが、体つき、顔立ち、目の色、歩き方で少しずつ似ていて、それでいて全員に共通する一つの特徴はない。彼はこれを家族的類似と名づけました。

のちに心理学者のエレノア・ロッシュは、人々に「これはどのくらい鳥らしいか」を尋ねました。コマドリはとても鳥らしく、ペンギンやダチョウはあまり鳥らしくない。私たちの頭の中の仲間には、くっきりした境界の代わりに、中心と周りがあったのです。

So what分け方を、一つ変えてみる

分類は、世界の側にあらかじめ一つだけ在って、見つけられるのを待っているものではありません。何を見たいかによって、分け方は変わります。分け方が変われば、見えるものも変わります。

だから、ばらばらの一覧を前にしたら、分ける基準を一つだけ変えて、並べなおしてみる。それまで散らばっていたものが一か所に集まったり、一つの箱から思いがけない偏りがこぼれたりします。並べ替えは、片づけではなく、構造の発見です。そして、どの箱にもきれいに収まらないものがあっても、それは分類の失敗ではなく、世界がもともと重なりでできている、というしるしなのだと思います。

Sources

  1. Carl Linnaeus, Systema Naturae, Leiden, 1735
  2. Jorge Luis Borges, “El idioma analítico de John Wilkins,” 1942。のち Otras inquisiciones, 1952。邦訳『続審問』中村健二訳、岩波文庫、2009
  3. Michel Foucault, Les Mots et les Choses, Gallimard, 1966, Préface。邦訳『言葉と物』渡辺一民・佐々木明訳、新潮社
  4. Ludwig Wittgenstein, Philosophische Untersuchungen, 1953, §§66–67。邦訳『哲学探究』鬼界彰夫訳、講談社、2020 ほか
  5. Eleanor Rosch & Carolyn B. Mervis, “Family resemblances,” Cognitive Psychology 7, 1975