No. 30
すっぱいレモン
能力を疑う前に、前提を疑う
Episode見た目では分からない
中古車の店先に、同じ年式、同じ色の車が二台並んでいるとします。どちらもよく磨かれて、ぴかぴかに光っている。けれど一台は、まだ何年も走れるよい車で、もう一台は、買ってすぐ壊れはじめる、はずれの車です。アメリカでは、そんなはずれの車を「レモン」と呼びます。
売り手は、どちらがレモンかを知っています。乗ってきた本人だからです。けれど買い手には、乗ってみるまで分かりません。大学に職を得て一年目の若い経済学者ジョージ・アカロフは、この当たり前の光景から一本の論文を書きました。
論文は、三つの学術誌に続けて断られます。一つめと二つめの返事は、うちはこんな些細な題材の論文は載せない、というものでした。三つめの雑誌から届いた二通の審査の報告は、なぜ間違っているかを丁寧に論じたうえに、こんな理由まで挙げていました。もしこの論文が正しいなら、経済学は違うものになってしまう。四つめの雑誌に載ったのは 1970 年。三十年あまりのち、アカロフはこの研究でノーベル賞を受けます。
Originレモンばかりが残る市場
アカロフの考えは、こうでした。どれがレモンか分からない買い手は、どの車にも、レモンかもしれない分を割り引いた値段しかつけない。すると、よい車を持っている人ほど、安く買いたたかれるのを嫌って売るのをやめてしまう。そうして市場には、レモンばかりが残っていく。
For it is quite possible to have the bad driving out the not-so-bad driving out the medium driving out the not-so-good driving out the good in such a sequence of events that no market exists at all.
悪いものがまあまあのものを追い出し、まあまあのものが並のものを、並のものがそこそこよいものを、そこそこよいものがよいものを追い出す。そうして、ついには市場そのものが無くなってしまうことさえ、十分にありうる。
— George A. Akerlof, “The Market for ‘Lemons’,” 1970
取引する二人のうち、片方だけが大事なことを知っている。この状態は「情報の非対称性」と呼ばれます。問題は、売り手の悪意ではありませんでした。正直な売り手も、信じてもらえずに去っていく。情報の偏りという仕組みそのものが、よいものの行き場を奪っていたのです。
だからアカロフは、論文の終わりに、偏りを埋める仕組みを並べました。品質を請け合う保証。信頼を名前に託すブランド。偏りを埋める手立てがあるところでだけ、よいものは市場にとどまれるのです。
Meaning手元の情報は、同じだったか
情報の偏りは、市場の外でも起こります。誰かの仕事ぶりに首をかしげるとき、私たちはつい、その人の力や姿勢に原因を探してしまう。どうしてこんな判断をしたのか、なぜこれに気づかないのか、と。
けれど、その人の手元にあった情報と、自分の手元にある情報は、同じだったでしょうか。自分に見えていた背景が、相手には知らされていなかったのかもしれない。相手の事情が、自分に見えていないだけかもしれない。見えている分だけで値をつければ、よいものまで割り引いてしまう。中古車の店先と同じ構図です。
So what決めつける前に、たずねる
うまくいかないことが起きたとき、人を責めても、偏りはそのまま残ります。責められたよい人から黙って去り、同じことがまたくり返される。レモンの市場と同じ構図が、職場にもあります。
決めつける前に、二つ尋ねます。この人は、何を知っていて、何を知らなかったのか。自分は、何を伝えていなかったのか。そのうえで、自分の知っていることを先に差し出す。保証やブランドが市場でしていることを、人と人のあいだでする。能力の差に見えていたものの多くは、情報の差を埋めると、別の姿を見せます。
Sources
- George A. Akerlof, “The Market for ‘Lemons’: Quality Uncertainty and the Market Mechanism,” The Quarterly Journal of Economics 84(3), 1970, pp. 488–500(引用は p. 490、保証とブランドは IV. Counteracting Institutions)。doi.org/10.2307/1879431
- George A. Akerlof, Biographical, The Nobel Prize in Economic Sciences 2001(バークレーの一年目に書いたこと、些細すぎるとして断られたこと)nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2001/akerlof/biographical/
- George A. Akerlof, “Writing the ‘The Market for “Lemons”’: A Personal Interpretive Essay,” 2001(American Economic Review と Review of Economic Studies は「些細な題材」、Journal of Political Economy は審査報告で「正しいなら経済学が違う」)equitablegrowth.org に再掲