No. 110

編む

ひと目ずつ、ほどけかけたものをつなぎ直す

Episode窓辺の編み手

戦争のさなかのヨーロッパで、線路を見下ろす窓辺に、毎日のように座って編み物をする女性がいました。誰も気にとめない、ありふれた光景です。

けれど彼女の編み目には、秘密が編みこまれていました。貨物列車が通れば一目、兵隊を乗せた列車なら別の目。編み目の数や形に、目の前を通りすぎていくものを記録していたのです。編みあがった布は、そのまま暗号になりました。編み物は、静かに座っているように見えて、世界をじっと見つめ、それを形にして運ぶ手仕事でもあったのです。

窓辺の明かりの中で、年配の女性が椅子に座り、うつむいて静かに編み物をしている油彩画。
アルベール・アンカー「窓辺で編み物をする女性」。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

Origin祖母から受けついだ手

経済学者のロレッタ・ナポリオーニは、テロや金融の闇を追う仕事のかたわら、子どものころ祖母に教わった編み物を続けてきました。彼女は『編むことは力』で、古代から現代まで、編み物が人の暮らしと歴史の中で果たしてきた役割をたどります。

貧しい時代に家族の服をまかなった手。戦地の兵士に靴下を送った手。暗号を編みこんだ手。そして、考えがまとまらない夜に、ただ黙って目を数えつづけた自分自身の手。ナポリオーニにとって、編むことは、ばらばらになりかけた世界と自分を、ひと目ずつつなぎ直す力でした。

Meaningひと目ずつ、つなぎ直す

編み物は、一本の糸から始まります。どれだけ大きなセーターも、ひと目、またひと目と、同じ動きを重ねた先にしか生まれません。急いでも、目を飛ばせばほつれてしまう。手を動かしているあいだ、頭の中の騒がしさは少しずつ静まり、目の前の一目だけが残ります。

しかも編み物は、間違えても取り返しがつきます。何段か前で目を落としたことに気づいたら、そこまでほどいて、もう一度編み直せばいい。ほどいた糸は切れずに残り、少し縮れた跡をつけたまま、また新しい目になっていきます。失敗は、布を台無しにするものではなく、編み直すための目印にすぎないのです。

そして、編まれた布は、一本の糸どうしが互いにからみあって支えあう形をしています。どの一目も、隣の目とつながっていなければ、布にはならない。編むことは、ほどけかけたものを、もう一度つなぎ合わせることそのものなのです。

So what手を動かして、つなぐ

世界がひび割れて見えるとき、私たちは大きな答えを探して、かえって立ちすくみます。何から手をつければいいのか分からない。

そんなときは、一本の糸を手に取るように、目の前の小さなことを一つ、手を動かしてやってみる。ひと目ずつ重ねていけば、いつか一枚の布になる。間違えたら、ほどいて、また編めばいい。編むことは、静かで、遅く、けれど確かに、ばらばらのものをつなぎとめる力なのだと思います。

Sources

  1. ロレッタ・ナポリオーニ『編むことは力 ― ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる』佐久間裕美子訳、岩波書店。原著 Loretta Napoleoni, The Power of Knitting, 2020