No. 26

アブダクション

驚きから、まだない答えを思いつく

Episode盗まれた懐中時計

十九世紀の終わり、アメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースは、船旅の途中で、高価な懐中時計を盗まれました。彼は船の給仕たちを一列に並ばせ、一人ずつ言葉を交わしていきます。けれど、誰が犯人なのか、手がかりは何もありません。

それでもパースは、自分に言い聞かせます。理由はなくてもいい、とにかく当ててみろ。そして、ある一人を指さしました。のちに時計は、まさにその男のもとから見つかります。パースは、根拠を言葉にできないまま、それでも正しく当てた自分の推測に、人が新しい考えにたどり着くときの、不思議な力を見たのです。

Origin三つめの推論

パースは、人の推論を三つに分けました。一つは、決まりから個別のことを導く演繹。この袋の豆はすべて白い、この豆はこの袋から出た、だからこの豆は白い。二つめは、個別のことから決まりを導く帰納。この袋から出した豆はどれも白い、だからこの袋の豆はすべて白いだろう。

そして三つめが、アブダクションです。目の前に白い豆がある。この袋の豆はすべて白い。だから、この豆はこの袋から出たのかもしれない。驚くような事実に出会ったとき、それをうまく説明できる仮の筋道を思いつく推論です。確かさでは、ほかの二つに劣ります。けれど、新しい考えを生みだせるのは、この三つめだけだ、とパースは考えました。

三つの推論 三つの列が並ぶ。左「演繹:決まりから、個別を導く。確かだが、新しくはない」。真ん中「帰納:個別から、決まりを導く。ほどほどに確か」。右「アブダクション:驚きから、説明の仮説を思いつく。不確かだが、新しい」。右の列だけが青い。 演繹 帰納 アブダクション 決まりから 個別を導く 個別から 決まりを導く 驚きから 説明を思いつく 確か、新しくはない ほどほどに確か 不確か、けれど新しい
パースの三つの推論。新しい考えは、三つめから生まれる

Meaning驚きが、始まりになる

アブダクションは、いつも驚きから始まります。思っていたのと違うことが起きた。説明のつかないことがある。その引っかかりを見過ごさず、もしこうだとしたら、この驚きは当然のことになるのではないか、と考えてみる。そこに、まだ誰も持っていなかった仮説が生まれます。

ものをつくる人たちが、まだない答えを思い描くときに使っているのも、この推論です。調べつくしても答えが出ないとき、最後の一歩を踏み出させるのは、確かな論証ではなく、筋のよい当て推量です。だからこそ、それを確かめ、外れたら直していく手続きが、あとに続かなければなりません。

So what驚きを、見過ごさない

思いがけないことに出会うと、私たちはつい、たまたまだと片づけてしまいます。けれど、その小さな驚きこそが、新しい考えの入り口です。

だから、引っかかりを見過ごさずに、もしこうだとしたら、と考えてみる。根拠が足りなくても、まず一度、当ててみる。そして確かめる。理屈が追いつく前に、思いきって跳ぶこと。新しいものは、いつもその跳躍から始まるのだと思います。

Sources

  1. Charles S. Peirce, “Deduction, Induction, and Hypothesis,” Popular Science Monthly, 1878
  2. Charles S. Peirce, “Guessing,” The Hound & Horn, 1929(懐中時計の逸話)